2017.03.17

“旦那”とよばれた、かっこいい堺の男 ―おやじのギャラリー六平

生きざまがかっこいい、偉大なる父親の姿を「おやじの背中は大きい」と表現することがあります。
日本で唯一、個人所有の能舞台である「堺能楽会館」。そのビルの中に「おやじのギャラリー六平」があります。ズバリ、この“おやじ”とは、能楽堂の館主である大澤徳平さんの父、鯛六さんのこと。
鯛六さんが残した莫大なコレクションに加え、徳平さんの代になってから集めた堺ゆかりのお宝の品々が、ずらり展示されています。施設名は鯛「六」さんと徳「平」さんの文字をとって「六平」。
中世の南蛮貿易時代だけでなく、明治から昭和にかけても堺にはスゴい豪商と文化が存在していたことが、大澤家の歴史から見えてきます。


堺能楽会館館主にしてギャラリーのオーナー 大澤徳平さん


 

■ 日本有数の酒どころとして栄える


明治時代、堺には100軒近くも酒造業者があったといいます。中にはアサヒビールの創業者、鳥井駒吉もいました。大澤さんが手に入れた貴重なお宝、明治28年「全国の酒造石数番付」には、前頭8枚目にアサヒビールの前身である「鳥井合名会社」の名前もあります。
大澤家は江戸時代から酒造業にたずさわる家で、明治に入り「6代目」の大澤徳平さんが大きく飛躍させました。


大澤家がつくっていた清酒「国光」のラベル


冒険心豊かなこの6代目は、日本初の大旅行である、明治41年の朝日新聞主催の世界漫遊旅行に約90日間もかけて参加したそうです。
さらに大澤さんの父(おやじ)である8代目の大澤鯛六さん。48歳の若さで亡くなるまで常に何かを追い求め、集めて楽しむという筋金入りのコレクター。収集した郷土玩具は20万点をゆうに超えていたといいます。




ギャラリーに保存されている沢山の玩具や古民具


 

■ 郷土玩具のコレクター、湊焼を復活!


鯛六さんの偉業には、堺に伝わる湊焼(みなとやき)を復活させたこともあげられます。
ギャラリーには鯛六さんがつくらせた昭和の湊焼から、戦火で残った郷土玩具が壁一面の棚に並べられています。「父はよく、顔のあるものは箱にしまっていてはだめ。みなさんにみていただくことがこの子たちにとっても幸せなのだ」といっていました。鯛六さんは人を楽しませ、喜ばせる、独特のムードを持っていたそうです。


鯛六さんが復活させた港焼き


堺商人の中でも羽振りがよく、博識で芸ごとにも達者。文化への支援をおしまない「旦那」と呼ばれたうちの一人と言えます。
文化を愛し育てた鯛六さんの背中は、大きくてどこか人を和ませ楽しませる、ユーモアのセンスにあふれたものだったにちがいありません。そんなかっこいいおやじ(旦那)である鯛六さんが集めた子どもたち(コレクション)。そのたくさんの顔に、今すぐ会いに行きませんか。

<行き方>


●おやじのギャラリー六平(堺能楽会館)・・・南海本線 堺駅から南東約10分



〒590-0974 堺市堺区大浜北町3-4-7-100
TEL:072-235-0305